これはドリコム Advent Calendar 2016 の16日目です。

初めまして。
2016年4月に新卒でデザイナーとして入社した、さのこと申します。
ゲームプロダクト部で、バナーを作ったり、UIをデザインしたりしています。
入社するまでは芸大で、油画を勉強していました。

絵を描くのが好きで、小さい頃から、裏が白いチラシを見つけてはボールペンで何かかきなぐっていました。
現在も油画の制作活動は続けています。
ちなみにこんな絵を描きます。

なんかいま、違うの混ざってたよ!
と思われたかもしれませんが、ぜんぶさのこの作品です。
油画とコミックイラストが好きです。
本日は、それぞれどうしてこんな絵を描いているのかについてお話ししたいと思います。

この理由を見つけるまで、大学4年間まるっとかかりました。

それくらい、「なぜ?」を考えるのは自分にとって難しいことでした。

入学当初に思っていたこと

自分の持てる技術をぜんぶ詰め込んで超必死に描いた絵が自分の最高の作品になる
と思っていました。
最高の作品を作るために芸大に入ることを決め、
予備校の先生に、「油画が向いてそうだね!」と言われ、
向いてるなら油画にしよう!と思って油画の専攻に決めました。
考えることはあまりしませんでした。

大学での作品づくり

大学では、優等生でした!
課題は日々夜遅くまで残って、自分が納得するところまで作りこみました。
「正方形の紙を並べて絵をつくる」という楽しくなさそうな謎の課題にも、やってたら何か見出せると信じて真面目に取り組んでいました。
ゼミ以外の人たちにも「いつも夜遅くまで残ってる熱心な子」として認識されるようになり、常にかっこいい作品を作ってやる!と息巻いていました。
上手いっぽく見えるから、人を好んで描きました。
また、おしゃれっぽく見えるから柄をよく取り入れていました。

自分は技術を真似するのが好きで、作家や先輩、同級生の技術をいろいろと真似して習得していました。
覚えた油絵の具の使い方で、いろいろな作品を描きました。
画面的に面白いものが描きたい!と思い
「人体だけリアルタッチで描いて、服は平面的に」
「背景はあんまり興味がないから、絵の具のにじみだけで表現しよう」
などなど実験のオンパレードでした。

ある時、教授にそれを
「技術だけで描いていて中身がない」
と指摘されました。
「上手い人ならあなたの上にいくらでもいる」
とも言われました。
ひどいです!!!!!!!
そんなこと知ってます。
合評会で、先輩も後輩も同級生もいる前でのことでした。
当時の自分は、技術をいっぱい使って何が悪いんだ?絵を描くって技術を磨くことじゃないのか?と反抗的な気持ちでその言葉を受け止めました。
「なんでこんなに真面目に描いてるのにひどいことを言われるんだ!」と憤慨さえしていました。
毎回、合評のために、頑張って描いているのに…

言われたことの衝撃ばかり気にして、言葉の意味を考えることをしませんでした。

【合評会について注釈】
油画のゼミに属していましたが、月に1度の合評会(研究発表会のようなもの)に出す作品は「なんでもいい」とされていました。
大量のクロッキーを出す人、球体関節人形を出す人、写経を出す人、いろいろでした。
「今月は何も作れませんでした。来月は頑張ります。」と教授とゼミ生の前で発表した強者もいました。

何がしたかったっけ…

イラスト制作のお話です。
油画の展示にいろいろと参加していたため、制作が忙しく、イラストに触れる時間はあまり取れませんでした。
が、2年生の時に、イラスト好きで集まり、毎年芸祭でグループ展をすることになりました。
油画と考え方がまるきり違ったので、同時進行はできず、1ヶ月ほどはイラストの制作期間にあてていました。
イラストを合評に出すこともありました。

イラスト制作は、油画で疲れた自分にとって癒しでした。
女の子を描くのが好きで、雑誌のポーズや服装を真似てしゃりしゃり描いていました。
しかし、あるとき油画と合わせてスランプに陥りました。
特に計画も立てずにペンを動かしては、ラフの段階で「なんだこの面白くない絵…」と思い、やめる。
「いやいや、ちゃんと描き切るまで分からない!」と無理に線画を起こし、塗り進めてみる。
時間をかけたのに、なんか面白くない絵ができる。
「何でこんな作品のために何時間も使ってしまったんだ!?」
「これを描いたことで自分になんのプラスがあるんだ!?」と自己嫌悪する…

図書館放浪時代

どうしようもなく、学校図書館で本を読みふける時間が多くなりました。
そんな時に、挿絵の黄金時代を紹介する本を見つけました。


『おとぎ話の幻想挿絵』 海野弘 (https://www.amazon.co.jp/dp/4756241336/)

そこに載っていたのは、
よく知られているビアズリーをはじめ、
アーサー・ラッカム、ハリー・クラーク、エドマンド・デュラックなどなど…
イラストについて詳しく調べたことがなかったので、めくるめく世界でした。

引用元:「大好きな絵のなかに
※画像はすべてパブリックドメイン

(上手すぎる…)

そのなかで、特に射抜かれたのがカイ・ニールセンの挿絵でした。

引用元:「大好きな絵のなかに
※画像はすべてパブリックドメイン

線描と、不思議な構図と、図案っぽい草木の描き方。
そして何より、決してリアルな表現ではないのに、物語の世界を想像できるということ。
自分がイラストに求めているものはこれだ!!!!!!!!
とやっと気付きました。
(その本を手放したくなくて2ヶ月くらい借り続けたら怒られました。)
(ニールセンの画集は別途アマゾンでぽちりました。)

何で好きなの?何で描きたいの?

この気付きは
「イラストの何が好きだったか?」
を思い出した瞬間でした。
小さい頃に見たイラストや、プレイしたゲームのガイドブック。
それらを見て、イラストの世界を感じたり、もしその世界に自分がいたら?と空想するのが大好きでした。

そう、
中二病です!!!!!!!!!!
イラストのなかにある、現実とは違う世界に無限のロマンを感じていたのです。

次は、好きなものをわざわざ自分の手で表現する理由がいると思いました。
理由があれば、作ったものがうまくいかなくても、「時間を無駄に使った!!」という気持ちがましになるからです。

表現するということは、見る人がいるということ。

見る人に、小さい頃自分が感じたようなロマンを感じてもらえたら、価値があるんじゃないだろうか!?
そうして、イラストを描く理由を、
「小さい頃に自分がした体験を、他の人にもしてほしいから」
としました。

理由が見つかったことで、全力でイラストを描けるようになりました。
同じやり方で、絶賛スランプ中の油画についても考えました。

油画の好きなところ

受験生時代に見た、小磯良平の油画の数々がたまらなく好きでした。
自分もあんな上手く描きたい!!油絵の具独特のタッチでかっこいい作品を作りたい!!とメラメラしていました。
何と言っても描いているのが楽しいです。
油絵の具は面白くて、
そのまま使ってもよし、
薄めてさらさらと水彩っぽく使ってもよし、
メディウムをいっぱい混ぜて半透明にしてもよし、
粘りを強くするメディウムで筆跡を残すもよし、
クレヨンなんかと併用しても面白い効果が出ます。
意志をたっぷり拾い上げてくれる画材だと思っています。
描く理由は、「いろいろな方法で自分のイメージを具現化できるから」です。

じゃあ、自分のイメージってなんだ?

好きだったことを、小さい頃に遡って考えました。
小さい頃から、”見たものをそのまま”描くのが好きで、こだわっていました。
あ、卓上デッサン好きだったなーと思い出しました。

卓上デッサンを描いてみることにしました。

たのしいぞ!?
もっとやろう

歪んでる方がかわいいから歪んだままでいいや

このあたりで、
「人の目は正確じゃなくて…」
「ひとりひとり脳が違うから見えてる景色は違ってて…」
などのうんちくを思い出していました。
デッサンで、缶ジュースのロゴを描いてみると実際より大きかった…
でも修正すると自分の思ってた仕上がりと違う…
という経験も思い出しました。

いろいろ考え、
「自分の見えた景色が自分にとって真実」で、
それを「見たまま描く」ことにしました。

© Ayaka Sano/photo credit:O Gallery eyes

© Ayaka Sano/photo credit:O Gallery eyes

実物はこんなかんじです。

この3枚の絵でやっと教授からよい評価をいただきました。

まとめ

ここまで到達してやっと、
それまでの絵が「合評でいい評価をしてもらうため」に描いたもので、
だから疲れていたのだと気付きました。

教授に言われた「中身がない」というのは
「目的がない」という意味でした。
合評でいい評価をしてもらうのも、課題であれば間違っていないと思うのですが、
芸大において、個人の制作は基本的に「一生やる」前提です。
(言われるわけじゃないので教授の意思に気付いたときはびっくりしました)
一生やることに対して、
目的を考えずにつくる癖をつけてはいけない!
というのがその教授の伝えたかったことだと思っています。

「人はHowは考えるけどWhyは考えない」
ということをたびたびおっしゃっていました。
ものづくりがしんどくなった時は、
「なんでこれつくりたいんだろう?」
を掘り下げると、初心と、今の自分だからこそ出来る事が見えてくると思います!